Interview

詩を書くように日常を描く|様々な葛藤の中で導き出した答え

幼少の頃から絵を描くことが好きだった昇さん。油彩やアクリルを用いて、詩を書くように日常の想いを作品に描かれています。
どう過ごし、何を想いながら作品を描かれているのか。昇さんにお話を伺いました。

きっかけは受験期の進路決定

ー絵を描き始めたきっかけを教えてください。

絵は物心ついた頃から描いていました。幼稚園に通っていた時ぐらいに、絵が好きな母親に連れられて行った画塾があったんですよね。大阪教育大を出られた美術科の先生の画塾で、週一ぐらいで通って水彩画を描いていたのが、絵を描き始めた1番古い記憶です。

ただ、中高時代は運動部に入っていたので、その間の5〜6年は美術の授業以外ほとんど絵を描かなくなりました。

ーまた描こうと思われたのは何がきっかけだったのでしょうか。

実際に、絵を描いて生きていこうと思ったのは、高校時代の受験期です。進路を決めるにあたって、自分が将来携わっていきたいものは何なのかって考えた時に、やっぱり美術系の方向に行きたいなと思ったんですよね。多分、小さい頃からの記憶が蘇ってきたのもあるんですけど。

最終的には芸大の美術学科に行きました。デザインや工芸や、他にも色々ありましたけれども、そういうものも全部ひっくるめて美術系へと思ったのが、高校3年生に上がる前くらいですね。

最初はちょっと漠然としていたんですが、受験科目を決める時には結局、洋画の方にしました。ただ、美術学科に入ってから、純粋美術とかそっちの方は潰しがきかないっていうのが分かりましたね(笑)

デザイン科とか工芸科っていうのは、ある意味職業とか就職に直結しているんですけど、美術学科というのは、職業には直結していなくて。絵描きになるか、教員になるかぐらいしかなかったです。

本当に「純粋な絵描きとして生きていきたいな」という気持ちではいましたが、今考えても、進路を変更しなきゃいけないような状況でもありましたね。

ー学生生活はどうでしたか?

非常に楽しかったですよ。絵が描けて、周りの環境も学校がちゃんと作ってくれるので、そういう点ではとても良いというか、至れり尽くせりでしたね。もういくらでも大きな作品が置けるような場所も設定してもらえましたし。

その後の生活を考えると、甘い環境だったなとは思いますけどね(笑)絵を描くことには集中できる環境でした。

芸大時代の作品

美術は学問ではなく遊び

ー美術系のお仕事で生きていきたい、という夢は叶えられたのでしょうか。

そうですね、一応美術科の教員という仕事に就いています。

「純粋に絵だけで生きていきたい」と思っていたときの仲間には、「絵以外のものに活路を見出すのは逃げることだ」というような考えの人たちが、やっぱりたくさんいるんですよね。

そういう点では、絵描きとして生計を立てていないなか、絵を教えるほうに回ってしまっているのは複雑ですね。そういう指導者として「偉そうに美術を語れるのか」という考えから見れば、自分の中でも「それでいいのか」っていう葛藤はあります。

私は、美術を教えている人は2種類いると思っていて、「教育系の大学を出て教育のために美術を教えている人」と、どっちかというと私と同じように、「美術系の大学を出て教員をやっている人」と。

美術を教育として考えると、恐らく両者では考え方にも違いが出ているんじゃないかと思いますね。

ー同じ美術の教員でも、根底の考え方が違ってくるんですね。

私個人の感覚としては、美術って純粋に考えると、学問ではなく遊びだと思っているんですよね。これ言っちゃうと、教育してる人から怒られると思いますが(笑)

純粋に遊びだと思っていて、絵を描くのが本来の仕事だと思っている人間からすると、学問として扱わないといけない場合、逆に難しくなっちゃうんじゃないかと思うんですよね。そういう葛藤もあります(笑)

歴史や技法を教えるっていうのはもちろん大切なんですが、これが本質ではないんだよなっていう。やっぱり、自己表現ができるような場を作らなきゃいけないだろうなと思っていますし、それを感じて表現してくれた子に出会うと、とても嬉しいです。

ー芸大を卒業するタイミングで教員を目指されたのでしょうか。

教員になったのは、卒業してからしばらく後のことですね。絵だけで生きていきたいと思っていた時期があって、アルバイトしながら、お金はないけど絵を描き続ける生活を4年ぐらいしていました。

最初は短期決戦だと思っていたので、ご飯なんか食べられなくても良いって思ってて。途中でこれは長期戦だな、という考えに切り替わって、就職をしました。

描き続けることで絵は熟成されていく

ー絵に関する転換期があれば教えてください。

常に何か転換しながらではあるんですが、自分の作品を販売しようと思ったきっかけがあって。ある著名な、歴史に残るような画家の書物を読んでると、「絵を持って行くとお金に変えてくれるような、銀行みたいな場所が欲しい」って書いてあったんですよね。

具体的に誰かは忘れてしまったのですが、苦学して有名になった画家が、多分駆け出しで売れなかった時代に書いたものなんですけども。

それを考えてみると、私にとってはオンラインでの販売ができるプラットフォームは、「絵を持っていくとお金に変えてくれる」という一文とドンピシャで、ほぼ同じことができる場所だったんですよ。

それまで「売り絵」を描くというのは、自分の本質から逸脱することだと、画家の仲間からはちょっと軽蔑される部分ではあったんですよね。売るための絵を書いてはいけない、というのはもう芸大時代からあって、教授にも「売り絵だね」って言われてしまうようなものなんですけど。

だけど私は、自分が純粋に描いたものを誰かが気に入ってくれるのであれば、それは絵として成立していると思ったので、絵を販売することにしました。

ー考え方の転換ですね。

自分が描いたものを見た人が気に入ったのであれば、それはそれでいいんじゃないかって。描かないと絵というのは成立しないわけですから、描かなきゃいけない。たくさん描けば描くほど、上達ではないんだけれども、絵が熟成されていくというか、良くなっていく気がするんですよね。

「絵を出品する」「人前にさらけ出す」という行為が、1番大事なんじゃないかなと思っています。売り絵を描くのが悪いのではなく、売り絵のための売り絵を描くっていうのが良くないんだろうなと。

自分が描きたいものを描いて出せばいいんじゃないか、みたいな感覚で切り替えをしたのが、販売しようと思ったタイミングですね。

絵を売って生活していくことを決意した当初の作品

絵を描くことは詩を描くこと

ー「絵を描きたい」という想いにさせるものは何でしょうか。

絵を描くということが、私にとっては多分、他の方が日記を書いたり詩を書いたりするようなものとほぼ同じなんじゃないかと。非常に日常にリンクしているというか、日常に沿って絵があるような気がしています。

とりたてて私の場合は、どこかにスケッチに行って良い風景を描こうとか、そういうのはなくて。練習はもちろんするんですが、その日に想っていたことや感じたものが出てくるような活動なんじゃないかと思いますね。

もちろん、視覚的なものから入ってくることが重要ですので、やっぱり物を見るっていう活動は大事なものだと思います。なので、スケッチという名目で外には出ないけれども、見る物全てが題材になっているんじゃないかなとは思っていますね。人間も含めて。

私も普通に仕事をしている人間で、街中に住んでいますので、高原や山、自然の中に行きたいっていう、葛藤というか思いがあったり。雪が降ると雪景色がもっと見たくなったり。

大作は人生的なものをテーマにしたものが多いですが、普段の引き金となるのはやっぱり、日常生活ですね。

作品名:やまびこ

静物画にしても、その辺で拾ってきたものがテーマになったりしますので、木の実が落ちていれば木の実になったり、カラスウリが落ちてたらカラスウリになったり。

これにしなきゃなんない、みたいなのは無いんですけれども、普通に描いてみようというものが題材になります。こういう風景の中に行きたい、みたいなのはどんどん深まっていくので、そういうのは数をたくさん描いていますね。

ー今後挑戦していきたいことはありますか?

目標としては、もう少しコンスタントに描いていきたいですね。日記のようなものなので、もっと描けるはずなんですが、仕事によって描けていないっていうのが不安であり不満でもあります。

頭の中のものはしっかり出した方がすっきりするので、どんどん描いていきたいですね。

昇

幼少期から絵を描くことが好きで、高校2年生の終わり頃に芸大受験を決意。芸大時代に学んだことを活かしながら、現在は美術教員として活動。描き続けることで絵は熟成されていくと、詩を書くように日常の想いを描き続けている。

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